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: 定休日
大分県上津江村のオートポリスサーキットで、福岡のMCタイヤショップ”ランドナー”が主催している年3回行われているゼロヨンフェスティバル。
1991年11月に第1回大会が開催され、今年で15年目になる歴史あるドラッグレースです。
私よんたも第1回から参加してます。始めてのゼロヨンと言うことでタイムも気にはなりましたが、サーキット走行は始めてだったので、周りを気にせずにリッ タークラスのバイクで、全開で走れる新鮮さの方が私にとっては感動的でした。結果は参加クラスの台数28台中20位、タイムは11.602秒でした。それ からの数年は順位はそこそこでも、タイムが少しずつ詰まってきた事に楽しさを覚えていましたが、3、4年もやっているとやはり順位にも欲が出てきました。 しかし参戦しているクラスの優勝タイムと自分のタイムは1秒以上の差・・・。そんな時に会社の出張でアメリカに行ったのですが、幸運にもドラッグレース場 へ行く機会がありました。ロサンジェルスの”Brotherhood Raceway Park”というコースです。(現在は閉鎖されたと聞いています)
レース開催予告のチラシ |
コントロールタワーからスタート地点を見た図 |
スタート |
H2のレーサーとバイクを貸してくれると言ったオフィシャル。 |
そこのコースはいわゆる不良と言われる若者の厚生施設も兼ねていました。
余談ですが、私を案内してくれた方は、昔日本で”パドックO&M”というショップでゼロヨンで活躍されていた大下(おおしも)さんという方でした。ちなみに”O&M”の”O”は大下氏(当時RZ250で暴れまわっていたそうです)、”M”はドラッグマシーンの刀ターボやFJ1400ターボを手がけたミハラスペシャリティの故三原氏です。
話を元に戻して、ここのコースは入場料5ドル、走行10ドル。それだったら走る人しかいません。コースオフィシャルには「俺のバイクを貸してやるから走れよ!」と言われましたが、装備が無い為に泣く泣く断念した思い出があります。コースには2日間行く事が出来、その時の体験で後のゼロヨン人生が大きく変わることになりました。
日本に帰ってきてからは、まずはライバル達と戦えるだけのパワーが要る!と言うことでエンジン換装&チューンに踏み切りトップから0.4秒落ちまで詰めました。その後次第にタイムを詰めていき、ついに1997年に2クラス優勝を果たすことが出来ました。その後も少しずつタイムを詰めていき、ベストタイム9.592秒(2005年6月現在)を出すところまで来て現在に至っています。
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